真宗興正派西讃教区仏教講演会 報告 2019.5.12

 毎年恒例の真宗興正派西讃教区仏教講演会。

 まずは開会のご挨拶。「近年、終活に注目が集まっています。人生の最後に考えるべきこと、それは、医療・介護、葬儀・墓、相続、遺品整理の4つだそうです。終活で葬儀・墓について考えるといっても、家族葬にする、墓はいらない、などという事務的なことに終始しているのではないかと思います。終(しゅう)活といっても、何を宗(しゅう〔むね、〔根本の意味〕)として人生を活きるのかが問われなければ本当の終活にはならないのではないか、という思いで「しゅう(終・宗)活について考えてみましょう」と題して開催させていただきました」。

 

 第1部はシンガーソングライター・リピート山中さん、アルバム名である『いのちのうた』と題してのコンサート。

 ヒット曲「ヨーデル食べ放題」、来場者に呼び掛けて「た~べほ~だ~い」と会場を楽しい雰囲気にしてくださいました。それからの唄は、まさに「いのちのうた」、トークも含めて心に沁み渡るものでした。

 『なんとかなる どうにかなる なるようになる』では「どうにもならないと嘆くうち どうにかなることも ならなくなりそうだ…「なるようになる」の口ぐせを石に刻んで想守りにしました」。心に響くと同時に、浄土真宗の他力の教えに通ずるものを感じました。

 『ありがとうのうた』では「君に逢えてよかったよ 生まれてきてくれてありがとう…あなたの子どもでよかったよ 生んでくれてありがとう 育ててくれてありがとう」。家族のつながりといのちの尊さに胸を熱くしました。

 医師に同行しての往診コンサートをされている山中さん。余命1か月と宣告された95歳の男性との唄を通じた交流。本人だけでなく家族とも心の交流ができ感動されたそうです。老病死を避けるのではなく、真正面に向き合う中で温かいつながりが生み出されるのだと感じました。

 

 第2部は釈徹宗氏の講演「しゅう(終・宗)活について考えてみましょう」。

先生は浄土真宗・如来寺住職、相愛大学教授。NHK「100分de名著」で『歎異抄』を担当、「ニュースシブ5時」で悩み相談「渋護寺」に出演。そしてNPO法人リライフ・グループホームむつみ庵代表として、介護、看取りの現場にも立っておられ、今回のご講師にぴったりです。

 先生は、終活は現代社会からわれわれに出された宿題である、とおっしゃいます。延命治療などの終末期医療、様々な形で束縛されている契約社会、地域コミュニティの崩壊で孤立、独居が増加していると現代の課題を指摘されます。その中で、終活が単なる実務作業で終わるのではなく、自分の死に向き合う、宗(根本)に目を向けていくことこそが大切であると呼びかけられました。

 『涅槃経』に伝えられるお釈迦さま入滅の姿、『蓮の露』に伝えられる良寛上人を看取った貞心尼の姿を例として挙げられました。仏教は、お釈迦さまの死をスーパースターの死ではなく、一人の高齢者の死として伝えています。そこには自分ではデザインできない、しかし、引き受けていくしかない老病死がまざまざと表されています。老病死は誰もが向き合わなければならない課題であり、そこに終活が宗活でもなければならない必要性があるとおっしゃられます。

 「渋護寺」での相談では、人間関係と老いに関するものがほとんどだそうです。先生は「縁起の実践」、「空の実践」と呼んでおられますが、できる限り多くの場、人にかかわりを持つ、そしてそれに固執しない、という姿勢が大切であるとおっしゃいます。お世話され上手、おまかせ上手になれれば、生きるのが楽になるでしょう。

 そして、奈良国立博物館の西山厚さんのエピソードを紹介されました。障害者の方から「この頃、同じ施設の人たちが亡くなって怖い。死ぬのは怖くないという講演をして欲しい」というお願いがあったそうです。それを受けた西山さんは、涅槃図を通して「父が亡くなった時におばあちゃんが来た。それは当然、あれほど父を愛したおばあちゃんが来ないはずはない。私の時には先に往った父が来ないはずがないという実感がある。だからその時に、父といい話がたくさんできるように生きるんだ」というようなお話をされたそうです。

 

 先に往った(亡くなった)方の目を意識しながら暮らし、先に往った方の願いに耳を澄ませながら生きていくのも長生きの値打ちであり、終活の一つとしていただきたいとおっしゃられました。浄土真宗はお浄土を宗とする教えです。帰るところ、お浄土がある人生を活きることが宗活、それによって安心して人生を終えることができる終活になるのではないかと感じました。

 

 最後にお礼の言葉として「私たちが引き受けなければならない老病死を一緒に分かち合うことのできる仲間がいれば、最後に阿弥陀さまにおまかせすることで、私たちの心が軽くなるのではないか」とお話させていただきました。真宗興正派のスローガン「今こそお念仏-つなごうふれあいの輪」も、それを願ってのものであると感じつつ、閉会としました。


真宗興正派西讃教区研修旅行 報告 2018.5.9

当山が所属している真宗興正派西讃教区の研修旅行。今回は三木町の常光寺、願勝寺へ。

 

 常光寺は同じ宗派に属するお寺。明治期には25ヶ寺の末寺を抱えていたといいます。1640年代に建立されたという八間四面の本堂でお勤めさていただき、ご住職からお話をお聞きしました。名物の「ラッパ銀杏」、葉っぱがくるりとラッパのようになっています。発見されたのが世界で7例目だったとのこと、県木にも指定されています。銀杏は昔、みんなこのような葉っぱだったそうです。境内を散策させていただき、幸運な方はラッパ銀杏の葉を持ち帰ったようです。

 

続いては願勝寺、源義経の愛した静御前ゆかりのお寺。静御前の母が讃岐出身だったことから、この地へ流れて最期を迎えたという伝説があるとのこと。源氏方として共に戦った佐々木盛綱がこの地へ来たところ、静御前のお墓がひっそりと建っていたのを忍びなく思い、寺院を建立し初代住職となったのが願勝寺の始まりとのこと。先年枯れてしまったが、静御前手植えの松の古木が境内に茂っていたそうです。ご住職からはご法話も聞かせていただきました。

 

 

『正信偈』にある「邪見驕慢悪衆生」。私たちは鏡を見るのが好き。自分の顔を見てもそこそこだと思っている。誰かに悪く指摘されると腹が立つし、認めたがらない。仏法の鏡がなければ自分の姿を正しく見ることはできない。親鸞聖人は自身の姿を見つめ続けて、「ただ念仏「南無阿弥陀仏」に助けられまいらすべし」との法然上人の導きによって90年の人生を生き抜かれました。私たちもお念仏と共に生きてまいりましょうと、聞かせていただきました。


真宗興正派西讃教区仏教講演会 2018.4.19

真宗興正派西讃教区仏教講演会。今年度は綾歌アイックスにて内藤知康師(龍谷大学名誉教授)をお迎えして「ご本願のこころ」。

 

キリスト教やイスラム教は神の啓示をそのまま受け取り、神の言葉の通りに生きていくことが求められる。キリスト教は「愛の宗教」、イスラム教は「掟の宗教」と言われる。仏教は「智慧の宗教」。

 

お釈迦さまは、生まれること、年老いていくこと、病になること、死んでいくことの四苦。それに加えて、憎いものにも会わなければならない、愛するものと離れなければならない、身体が様々に執着する、求めて求めても得られないという、合わせて四苦八苦の解決を目指すものであると示されました。その苦しみを離れることを達成されて、道を示して下さった。その道は人それぞれ違ってくる。しかし、私が歩むことのできる道は一本だけ。親鸞聖人は自らの力ではさとりに歩むことができない、だから法然上人の導きによって「ただ念仏に助けまいらせ候ふべし」と阿弥陀さまにおまかせしてお念仏の道を歩まれた。しかし、このまかせるということが私たちにはなかなかできない。日々阿弥陀さまのご本願のこころに触れさせていただきましょう、と聞かせていただきました。


真宗教団連合中央研修会 報告 2017.7.18~20

 親鸞聖人は承元の法難(1207)で越後へ流罪。5年後に勅免が下り、関東へと向かう。その途中、信濃(長野県)を通られた。善光寺に立ち寄られたなど現地には様々な言い伝えが残っている。その道中や関東での布教によって、親鸞聖人に師事した弟子が信濃でも寺院を建立してお念仏を伝えていく。その立派な本堂を目にして、昔の方々の信心の深さを思い知らされた。


鎌田實講演会 報告 2017.4.14

 なぜ僧侶である私たちが鎌田さんのお話を聞かせていただこうと思ったのか。

鎌田さんは身体の治療だけでなく、心のケアも含めていのち全体を大切にされます。

仏教は古来よりいのちを見つめてきました。

いのちとはいったい何だろう、どのようにすれば元気に安らかに生きていけるのかを考えてきました。

同じくいのちの安らかなることを目指す医療者と宗教者が手を携えていくのは自然なことです。

鎌田さんの豊かな経験からいのちを巡るお話を聞かせていただき、どのようにいのちに向き合っていくのかを考えてみたい。

38億年前に生命が誕生、最初は単細胞。いのちは必ず終わるが、クローンを作ることができた。

しかし全く同じいのちが生まれるということは、一つのいのちが終わりを迎えようとも悲しくはない。

その後、性別ができてそれぞれの染色体を一つずつ引き継ぐ唯一無二のいのちが生まれるようになった。

だからそのいのちに終わりが訪れると悲しいのである。

頭が良かろうが悪かろうが、障害があろうがなかろうが全てのいのちが同じく38億年のいのちの歴史を持っているのである。

700万年前に人類が誕生、直立二足歩行をし、木の実などを取って蓄えるようになった。

それまで力によって異性を争っていたのが、物をプレゼントすることで気を引くようになった。

それが人類の愛の原点。

そして170万年前の人骨に、生まれつき歩けない人が成人まで生きていた形跡がある。

誰かの世話によって歩けない人が生き長らえた。ケアの原点である。

人間は愛とケアの心を古来より持っている。

今一度、幸せについて考えなければならない。

感動することによってセロトニンという喜びホルモンが出て幸せになる。

人のことを考えることによってオキシトシンというホルモンが出て相手を幸せにする。

それが回ってまた自分もまた幸せを感じる。

鎌田さんは110か月の時に岩次郎さん夫妻に拾われて育てられた。

医学部に進みたいと言ったが反対され喧嘩となり、ついには首を絞めてしまった。

とうとう「何もしてあげられないけど自由に生きていい。そのかわり自分の責任で生きていくんだ」と許しを得た。

「威張ったり、患者を怒鳴ったりする医者になるな。苦しんでいる人の話を聞いてあげられる医者になれよ」との言葉は今でも心に刻まれている。

結婚後、実の親ではないと知る。隠していた父母、妻のやさしさに気付いた。

これまでの人生がすべていのちのつながり、愛に生かされていたという思いが今、医師として、イラク、チェルノブイリ、福島などでのさまざまな活動につながっている。

自らのいのち、生き方、死に方は自らで決めていく。

その中で1%は誰かのために行動する。それが幸せホルモンを増加させる。

100%はできないが1%なら誰かのために動くことができる。

是非、幸せホルモンを出せるように行動し、幸せに生きていきましょう。

と聞かせていただきました。

最後にお話をまとめてご挨拶させていただきました。

浄土真宗のお念仏「南無阿弥陀仏」の「阿弥陀」にははかりしれないいのちのはたらきという意味がある。

すべてのいのちがつながっている、支え合っていると気付くことで鎌田さんの言う誰かのための1%の力が生まれる。

幸せホルモンの話は仏教で説く自利利他円満、自らと他の幸せはつながっているということ。

鎌田さんのお話を自らの胸に問う。それは南無阿弥陀仏につながっている。

完璧な人間にはなれないが、仏さまに導かれながらお浄土へ生まれ往くのが浄土真宗。

 

お念仏を称え、自らのいのちを生き切り、他のいのちに寄り添っていきたいものです。


真宗教団連合東日本大震災現地研修 2017.2.13

 被災地支援を考えるため、岩手県の大船渡市、陸前高田市を訪れました。震災、津波の直接被害が最も大きかった宮城。原発事故により多くの方が困難な生活を余儀なくされている福島。もしかしたら岩手はあまり関心が払われていないかもしれません。あれから6年経過したため、私自身も震災直後に抱いた被災地への思いは薄れていました。

 現地を訪れて驚いたのは、まず被災した地域が広いこと。陸前高田でも街のすべてが流され、その広さは私の想像をはるかに超えていました。テレビで見たあの衝撃的な被害、それが1ヶ所、2ヶ所ではなく広範囲にわたっているのです。そして、復興がまだまだ進んでいないこと。最近メディアであまり取り上げられないこともあり、復興はかなり進んでいると思っていました。陸前高田では、何も無くなったかつての街に10メートル以上の土盛りをしている最中。

また2キロにわたる堤防は完成している模様、これも10メートル以上の高さ。

異様な風景に、このような街作りが本当に地域住民にとって良いのかとも考えさせられました。

 家ごと波に飲み込まれた方のお話は胸に刺さるものがありました。そして胸に刻まなければならない彼の言葉「忘れないでください。それが被災者の一番の願いです」。あれから6年、現在も被災者にとっては震災後ではなく、震災の真っただ中なのではないでしょうか。また、昨年、女川原発を訪れた方が「原発は安全でクリーンなエネルギーです」と職員から説明されたといいます。同じ原発でも、事故を起こした場所と起こしていない場所でこうも違うのかと愕然としたそうです。

 現地の僧侶からお寺ができることについても聞かせていただきました。避難所になる、人の話し相手になることなど、さまざまな役割を担えるということ。誰にも見送られず火葬され、身元が判明してお骨が帰ってくるのは本当に悲しい。僧侶が読経し見送ることによって、少しなりとも心が安まる。毎年311日午後246分に、あの震災を忘れないようお寺の鐘を鳴らすだけでも被災者の力になる、とも教えていただきました。

 東日本大震災以後も熊本地震、鳥取地震など多くの震災が起こっています。香川県もいつ何か起こるか分かりません。被災地支援としてできること、ここでの有事の際にできること。小さくても何かできることを、と思いを強くしたことです。

最後に心を打たれたこの文を。

「あの日から6年 7回忌となる「3.11」が来る。

 辛い記憶の中には「忘れたいこと」がある。「忘れられないこと」がある。

 忘れることで日常を取り戻すことができる。

 しかし「忘れてはいけないこと」がある。

 あの日 揺れる大地の上で すべてを飲み込む津波を目前に

 迫りくる見えない放射能に怯えながら 被災地から遠く離れたテレビの前で

 あの日それぞれの場所で

 あなたが守ろうとしたものは何だったのか。

 抱きしめたいと思ったのは誰だったか。

 そのことだけはけっして忘れてはいけない。

 それが震災を忘れないということだから。」

 (真宗大谷派東北別院パンフレットより)

  南無阿弥陀仏


真宗教団連合香川県支部聞法大会 2016.10.17

 高松テルサにて約400名参集のもの開催されました。

 真宗はお説教が生命線、お聴聞を大切にした。厳しい戒律を守るわけではなく、日常の生活の中でみ教えを聞き暮らしていく。だから、落語などの庶民芸能の題材になっていった。宗論以外にも菊江仏壇、お文さん、寿限無など数多い。

お説教を聞いたお年寄りの声。「死ぬのは怖くない。お説教を聞かせてもろうたから。阿弥陀様に迎えられてお浄土へお参りする」。彼らは特別な修行をしたわけでも、難しい教学を学んだわけでもなく、ただお説教を聞いただけ。それで迷いを離れる。それが浄土真宗の面白いところであり、偽物ではないと感じる。

浄土真宗のお説教は五段説法。讃題、法説、この辺で眠くなる。譬喩、で笑いも交えながら、因縁、で長い物語を、結勧で仏法に戻る。節談説教はお説教のひとつの方法。

安楽庵策伝という浄土宗の僧侶が五段説法の比喩の部分のお話を集めて『醒睡笑』という本を著した。お寺でのお説教は退屈、眠くなる。だから「睡眠を醒ます笑い」が必要ということで。これが落語のテキストになっていった。江戸時代におそらく初の職業噺家となった京都の露の五郎兵衛、もとは日蓮宗の僧侶。

一人の人間が扮装も背景もなしに正座して語り続けるという世界でも例のない話芸のスタイル。それは、仏教のお説教がルーツとなって出来上がった。「高座」は、昔、お坊さんが上がって説教していた台のこと。

もともと芸能はまねをする技という意味がある。古代社会では宗教儀式のまねをすることによって芸能が生まれた。

法事は経典の読誦と説法からなる。読誦から歌いものの芸能が発達。説法が語り芸能の土壌となった。また、お寺の勧進に芸能が使われた歴史がある。

語りに敏感に反応する、身を預けることが大切です。では桂坊枝師匠の落語をお楽しみください。

 

落語・桂坊氏師匠

ここはうどん県。うどんをすする形態模写が、違うと言われないか心配ですが、と笑いを取りつつ「時うどん」へ。

うどんを食べたい二人、手持ちは15文。うどん一杯16文。そこで一人が思いついた悪知恵。一杯のうどんを頼み、支払いの時、一文ずつ数えていく。八つ数えたところで店主に「今何時か」と聞く。「九つです」。つづけて「十、十一‥」。まんまと一文だましました。味を占めたもう一人。何が何でもさっきと同じようにしたいので、一人なのに二人のようにおかしな振る舞いで笑いが起きる。さて支払い。八つまで数えたところで「今何時や」、「五つです」。「六つ、七つ‥」と続けて、結局三文損してしまった、というオチ。

「手水回し」。丹波の旅館に大阪からの客が泊り、「手水を回してくれ」という。「手水」が何かわからない旅館のもの。そこで物知りの和尚さんに聞きに行く。すると「ちょうず」とは「長頭」であるという。そこで、町にいる長い頭の男を探して頭を回させる。しかし、違うらしい。大阪の旅館へ泊まれば分かるということで大阪へ。「手水を回して」と頼むと出てきたのは水の入った桶と塩と竹。それを飲み物と勘違いして、たらふく飲んでしまう。本当は「手水を回して」とは、顔を洗い、歯を磨く水や桶を持ってきてくれということだった。

 

対談・釈徹宗師+桂坊枝師匠

落語の後は二人の対談。手水回しに出てくるような、ええ加減なお坊さんを笑う落語が多い。『醒睡笑』にもたくさん出てくる。賢ぶる姿を笑う。親鸞聖人は「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」、外に立派そうに見せてはいけません、なぜなら中身は偽物なのだから、とおっしゃった。落語には楽したい、遊びたいという人間の欲望丸出しの人間が出てくる。内に虚仮を抱いているからこそ、お念仏の道を歩いて行こうと感じていただければと思います。と閉められました。

 釈先生の音源やスライドを使った分かり易い話に、坊枝師匠の軽妙な落語で会場は大いに盛り上がりました。


真宗西讃教区仏教講演会 二階堂和美ライブ 2016.5.29

 シンガーソングライターでもあり、僧侶でもある二階堂和美さんのライブ。スタジオジブリ作品『かぐや姫の物語』の主題歌「いのちの記憶」はもちろん、女性らしく恋愛や子供のことを唄った曲。仏教に通じる植木等さんの「スーダラ節」。原爆投下から70年経った昨年作られたいのちの尊さを訴える「伝える花」や美空ひばりさんの「一本の鉛筆」。時に軽快に、時にはしんみりとした語り口。彼女の思いがひしひし伝わってくる素晴らしいライブ、仏教講演会となりました。

 

「この世のすべてはどうにもならない、それでも生きる、私は生きる」(めざめの歌)。それを教え、生きる力を与えるのが仏教です。「いまのすべては過去のすべて、必ずまた会える、懐かしい場所で、いまのすべては未来の希望、必ず憶えてる、いのちの記憶で」(いのちの記憶)。まさに南無阿弥陀仏。私にはすべてが流れ込み、すべてに支えられている、だから安心、だからまた会えるのでしょう。

 

ご来場くださいました皆様有難うございました。

 


真宗教団連合香川県支部聞法大会 2015.10.15

十月十五日、綾歌アイレックスにて聞法大会が開催されました。まずは、当山でも催された劇団音芽オリジナル仏教歌劇「正信」の公演。親鸞聖人の妻、恵信尼公の回想シーンで幕が開き、戦乱の世、聖人の出家と叡山での修行、六角堂での夢告、法然上人への入門、承元の法難、関東でのご教化、恵信尼さまとの別れなどが、躍動感あふれる踊りと歌によって表現されました。

講演は筑波大学名誉教授・今井雅晴氏による「親鸞聖人のご家族への思い」。親鸞聖人は、六角堂の観音菩薩のお告げによって結婚を決心された。熱心な念仏信仰を持つ三善家に生まれ、おそらく親鸞聖人よりも早く法然上人の教えにふれていたのであろう恵信尼さま。二人は法然上人のもとで出会い、結婚された。親鸞聖人が越後に流され、またそののち関東へと向かわれたとき、恵信尼さまも同行された。その当時としてはあまりないこと。それは恵信尼さま自身の意志である。親鸞聖人と恵信尼さまは強い絆で結ばれていた。関東での布教においても、仲のよい家族の姿が非常に説得力をもったと思われる。

親鸞聖人は、家族をとても大切にされていた。それは自らの体験が大きく影響していたのだろう。九歳で家族と切り離されて、恋しくないわけがない。そのご家族への思いは、『皇太子聖徳奉讃』にあらわされている。

救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して

多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ

親鸞聖人にとって父親とは、しっかりと子どもを捨てることなく導く存在、母親とはやさしく寄り添う存在であった。そのように家族を大事にされた親鸞聖人だからこそ、そのご教化が人々の心に深く届いたのであろう、とのことでした。お念仏によって強い絆でつながる家族を作りたいものです。


真宗教団連合中央研修会 2015.7.22~24

 本年も真宗教団連合中央研修会に参加しました。築地本願寺にて今井雅晴筑波大学名誉教授の講義を聴講させていただきました。

 これまでは親鸞聖人の関東での教化は今の茨城県、稲田の草庵を中心とした北関東とされてきた。しかし、鎌倉幕府の執権・北条泰時の事業であった一切経校合に招聘されてより、今の神奈川県においても5,6年にわたり活動された形跡がある。新たに神奈川県も含めて関東の業績を見直し、親鸞聖人の姿に学ばせていただきましょう。と聞かせていただきました。

 二日目からは、実際に親鸞聖人が訪れ、滞在されたといわれる地、寺院を今井先生のお話を聞きながら巡らせていただきました。人々から敬愛され、教えを請われた親鸞聖人。その姿と心を憶念しながら、真宗僧侶たる自らの今後の歩みを考えさせられたことです。今井先生、スタッフのみなさま、ご一緒させていただいたみなさま、尊いご縁を有難うございました。


真宗興正派西讃教区仏教講演会 2015.5.14

 514()、まんのう町町民文化ホールにおいて真宗興正派西讃教区仏教講演会が約250名参集のもと開催されました。ご講師は結城思聞(松倉悦郎)氏〈浄土真宗本願寺派善教寺住職・元フジテレビアナウンサー〉、演題は「いのち・生命(いのち)・無量(いのち)」。

まずDVDにて、姫路市の飲料水・農業用水の供給源となっている夢前川(ゆめさきがわ)上流に計画されていた、産業廃棄物最終処分場反対の活動を紹介。多くの宗派や市民が結集した反対運動の結果、13万余の署名を集め、その予定地(甲子園球場の10倍)を市が買い上げることで決着した。「いのちの水を守る」ということで、多くの賛同を得たが、えてしてこの種の反対運動は「地域エゴ」となる。従って、もっと大きな視点自分の所にさえ来なかったらよい、というのでなくから企業は勿論、私達一人一人が「ゴミを減らす」という意識改革をしなければいけない。これは原発問題にも通じるのではないか。

フジテレビのスポーツアナ時代、誰にでもキチンと帽子をとって挨拶してくれた監督は長嶋さんと王さんだけだった。誰に対しても敬いを忘れない姿勢に感動した。長嶋さんは本当に人を楽しませてくれる方、さまざまなエピソードを聞かせていただいた。現在、長嶋さんは言語障害などを克服するため、精一杯のリハビリに取り組んでおられる。

小川宏ショーで、視聴者から詩を募って作曲家が曲を作り、プロの歌手が歌うというコーナーがあった。ある時、やっちゃんという脳性麻痺の障害を持った子に出会った。話ができないから先生に目配せで合図をして詩を作った。「ごめんなさいね、おかあさん。ごめんなさいね、おかあさん。僕が生まれてごめんなさい。僕を背負うかあさんの細いうなじに僕が言う。僕さえ生まれなかったらかあさんの白髪もなかったろうね。大きくなったこの僕を背負って歩く悲しさも、傍らを誰もが振り返る冷たい視線に泣くことも。僕さえ生まれなかったら。」この詩を読んだおかあさんはその場に立ち尽くしました。一言だけ「やっちゃんがこれを?」と先生に問いかけた。すると今度はおかあさんが「わたしの息子よ」というやっちゃんに呼びかける詩を作りました。「わたしの息子よ、許してね。このかあさんを許しておくれ。お前が脳性麻痺と知った時、あぁごめんなさいと泣きました。いっぱいいっぱい泣きました。いつまでたっても歩けない。お前を背負って歩く時、肩に食い込む重さより、歩きたかろうねと母心。重くはない?と聞いているあなたの心が切なくて、私の息子よありがとう。ありがとう、息子よ。あなたの姿を見守っておかあさんは生きてゆく。悲しいまでのがんばりと人をいたわる微笑みの、その笑顔で生きている。脳性麻痺の我が息子。そこにあなたがいる限り。」今度は、おかあさんの心をしっかりと受け止めたかのようにやっちゃんが後半の詩を作ったんです。「ありがとう、おかあさん。ありがとう、おかあさん。おかあさんがいる限り生きていくのです。脳性麻痺を生きていく。優しさこそが大切で、悲しさこそが美しい。そんな人の生き方を生き方を教えてくれたおかあさん。おかあさん、あなたがそこにいる限り。」この詩を書いた2ヶ月後に15歳でやっちゃんはお浄土へと行ってしまいました。障害を持つ人が「ごめんなさい」と言わなくていい社会、誰もが「ありがとう」と生き抜いていける社会を作っていくのが私たちの務めです。

同僚の逸見政孝氏のガンとの闘病生活と最後の看取りを通して「いのち」について考えさせられた。十数時間に及ぶ手術のあと目が覚めたとき、逸見氏は家族から、先生が「逸見さん、終わりましたよ」と何度も声をかけてくれたのに答えて「はい」と起きたんだよ、と聞かされた。それを聞き、お念仏も同じなのだ。阿弥陀さまの呼び声に応えるのがお念仏なのだと初めて得心した。逸見氏からの最後の手紙を「彼は字が綺麗でしょう」と見せてくださり、静かに読み上げた。「来年、生きていれば出席します」との言葉に万感の思いを感じたと語られた。

親鸞聖人のご和讃「平等心をうるときを、一子地となづけたり、一子地は仏性なり、安養にいたりてさとるべし」。「いのち」とは平等なものであり、阿弥陀さまはあらゆる人を一人子のように憐れんでいる。如来のお心は「仏性」である。「仏性」とはあらゆる人が如来になれる可能性があるということだろう。

「共生」ということばは「ともいき」という仏教の教えである。ジャータカ物語に、傷ついた鳩と鷲と王さま(釈尊の前世)の話がある。言わんとするところは、それぞれかけがえのない同じ重さの「いのち」を生きているということ。私の役に立つ、立たないでいのちを見ることは、いのちを道具にしていること。好き嫌いではなく、すべてにいのちの尊厳を見出していくのが仏教である。

鹿児島県の『知覧・特攻平和会館』を訪れた時のこと。特攻出撃の前に我が子が書いた遺書への母親の返事。母親は字が書けなかったので代筆だったが、最後の「母より」の「母」という字だけ、何度もなぞった跡があった。母親の必死の気持ちが顕れている。その手紙には「お念仏を忘れるな」ということが4度も書かれ、「あみださんへ往っておくれ」と呼びかけていた。「戦死した子供は靖国神社ではなく、極楽浄土に往っておられるのではないか」、それこそ阿弥陀経に説かれた「倶会一処」ということであろう。最近の安倍内閣の動きは、戦争前の昭和10年頃を予感させる。無量寿経には「兵矛(ひょうが)無用」と説かれている。戦後70年、日本は海外で戦死者を出していない。それは日本国憲法のおかげではないか。戦争は起こってからではどうにも出来ない。その兆候を敏感に感じて、先に行動しなければいけないのではないか。

最後に聖路加病院の日野原先生のこと。先生は子供にお話する時、聴診器を持っていき、隣の友達の心音を聴かせ、「いのち」を体感させるのだそうだ。そして子供達に宛てたメッセージ(『星の王子さま』の一節を引用したもの)を読まれ、「いのち」とは目に見えないものかもしれないが、「本当に大切なもの」だと締め括られた。

 ご参集、お聴聞いただきました方、有難うございました。

 


真宗教団連合香川県支部聞法大会 2014.10.9

 三木町文化交流プラザにて聞法大会が開催されました。講師に真城義麿氏(大谷派善照寺住職、元大谷中学・高等学校長)をお迎えし、「親鸞聖人は何を求めれらたのか」と題してご講演いただきました。

 

あなたは何を求めているのか、あるアンケートでは幸福の条件を人々は①健康②お金③家族と考えている。しかし、私たちはそれを満たしても関係なく寿命が尽きていく。お孫さんから「元気になってどうするの、何をするの?」と聞かれたら何と答えるのか。手段と目的を勘違いしているのではないか。人間は「私の請求が、私の都合よく、充足される」ことを願っている。私の請求、は外からの情報によって誘導されたものである。コマーシャルを見たり、隣の人が持っていたりで欲しくなる。それは私の本当の請求とは違うのではないか。また、私の都合よくということは、多く他人にとっては都合が悪いことである。孫が合格しますように、と願うことはほかの誰かが落ちてくれという呪いと表裏一体。また、充足は有り得ない。一億円欲しいと言って手に入れて満足したというのは聞いたことがない。もっともっと欲しくなる。つまり、「私の請求が私の都合よく充足される」ことを求めているのは迷いである。

 

杉山英一氏の詩『生』に「物を取りに行って、何を取りに来たのか忘れることがある。途中で思い出せれば幸せである。身体が先に生まれてきて、何をしに生まれてきたか分からないまま死んでしまう。途中でそれが分かった人は幸せである」とある。何のために生まれ、生きているのかを教えてくれる人に出会うことは幸せであろう。

本尊とは「本当に尊いもの」。何を尊んでいくのか。正信偈は「帰命無量寿如来」とはじまる。帰命の「命」とは①いのち②生活③使命という意味があるが、いのちの帰るところ、私の使命、私がこの世に出てきた本当の用事とは何かを明らかにしなければならない。

 

無量の「量」とは、数値化、単位のこと。何か得るのに相応の対価を払うという等価交換の世界。数値は増減するし、対価を払えば「これだけしたのに、これだけ払ったのに」という思いが起こる。数値で量られて、できたら認められる世界では、できないものの居場所がない。競争させられ、できなければ自己責任と非難されるストレスだらけの社会。心を病んでいる人が年々増えている。年を取ってできないことが増えてくれば自分の存在意義がなくなる。校長を退職するときに、先輩に「ボケないためにはキョウイク(教育?)とキョウヨウ(教養?)が大事」と言われた。はて?と思ったが、「今日行く(キョウイク)ところ、今日用(キョウヨウ)」があることが大事だと教えられなるほどと思った。年をとっても行く場所がある、役割があるということは大切ではないか。

 

できたら認められるから「頑張ります」という世界から、できないことが増えて「お願いします」。何もできなくなって「お任せします」。最後にはただただ「有難う」と感謝するしなかい、となっていくはずだがなかなかそうはならない。自分が人よりできることを誇り、お任せしてもあれがまずいと文句を言い、感謝のところまではたどり着かない。
 

親鸞聖人は比叡山で20年間修業されたが、量の世界、できたら認められる世界で苦悩され、どうやってもできないところまで行きつかれた。そして法然上人に出会って、本願、無量の世界に感動し、帰依された。本願の世界とは、あらゆるいのちが何の条件もなく尊いと認められていく世界、条件次第で変わる量というものを問わない世界。何の条件もなくというと、悪いことをしてもよいのか、という人がいるが、本当に本願に目覚めると、この大切ないのちをそのように使おうなどとは思わない。

念仏したらどうなるのか、と聞かれることがある。海に潜ってみるとどのようなものですか、と聞かれてもきちんと説明することはできない。潜ってみてくださいとしか言いようがない。それと同じで念仏も称えてくださいとしか言いようがない。親鸞聖人が『歎異抄』で「ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべし」との法然上人の仰せ、にまかせるのみと述べられたのと同じである。その中で見えてくる世界がある。

 

親子の関係には目的がある。「ああなって欲しい、こうして欲しい」という欲(条件)がある。祖父母には孫に「ここにいてくれればいい」(無条件)という思いだけである。祖父母が仏さまにお参りするとき、そばに孫がいれば素直に手が合わさる。年をとっても役割があるというのはこのことである。

 

浄土真宗の本尊は「南無阿弥陀仏」、それを漢訳したものが「帰命無量寿如来」。本当に求めていくべきもの(いのちの帰するところ)が分かった人は、それを伝えていく使命があるのである。

と聞かせていただきました。
 

昨今、お念仏の声が聞こえないと言われます。それは仏教、浄土真宗のみ教えが私たちにとって必要ないのではなく、私たちが求めているものが間違っているのではないか、きちんと親鸞聖人と出会えていないのではないか、と考えさせられたことです。

 


真宗教団連合中央研修会 親鸞聖人関東ご旧跡を訪ねる 2014.7.30~8.1

 7月30日から3日間にわたり、真宗教団連合中央研修会に参加し、関東各地で親鸞聖人のご旧跡を訪ねながら、その分野では第一人者である今井雅晴先生(筑波大学名誉教授・左写真)のお話を聞かせていだきました。

 まずは築地本願寺での講義。今井先生より、親鸞聖人当時の関東は未開の地で人々は無知であったとの従来の解釈は間違い。新しい武士の都・鎌倉があり、農業が盛んで、宿場町も栄えていた。流罪の地であった越後から、念仏を広める新天地として、縁の深かった武士により迎え入れられたのであろう。関東にはすでに様々な信仰があったが、その上に念仏の教えを伝えられた。稲田を中心にして半径40キロほどの地域を歩いて布教されたのだろう。また、家庭生活を基盤にした伝道も親鸞聖人の教えが受け入れられた要因であり、恵信尼さまの存在は大きいものがあったであろう。と学ばせていただきました。

 2日目からは旧跡を訪ねました。まずは坂東・報恩寺。開基は弟子の性信坊、親鸞聖人に付き添っていましたが、聖人が関東を去る際に念仏を弘めるためにこの地に残ったと言われています。次は小島の草庵跡。親鸞聖人が関東に来て初めに住まわれた庵があったところです。今は建物はなく、石碑が建つのみです。次は山伏弁円が親鸞聖人を害そうと護摩を焚いた跡、待ち伏せした場所を見ました。大覚寺は親鸞聖人のお姿とその教えに感服して帰依した弁円ゆかりの寺です。続いて西念寺(稲田の草庵跡)。20余年にわたる関東時代の多くをここで過ごしたと言われています。続いて真宗高田派の本寺、専修寺。弟子の真仏、顕智に受け継がれ、初期の関東における真宗教団の中心となった寺院です。親鸞聖人が拝まれたと言われる一光三尊像があり、また、聖人の廟所も参拝しました。

 歴史に触れるということは当時の方々のことが身近に感じられ、親鸞聖人のみ教えが今に生きる私たちの中に自然と入ってくる気がします。大変意義深い研修旅行に参加することができました。今井先生、各地でご案内いただいた方々、教団連合の皆様、有難うございました。


真宗興正派西讃教区総代研修 2015.4.16

 4月16日、真宗興正派西讃教区各寺院の僧侶、総代93名で岡山方面に研修旅行に行きました。

 まずは当派の清楽寺(三木秀海住職)に参拝。親鸞聖人の和讃「七宝講堂道場樹 方便化身の浄土なり 十方来生きはもなし 講堂道場礼すべし」をあげ、お寺はさまざまな手立てを使って阿弥陀様が私たちを教え導いてくださる場所。七つの宝とは、仏、法、僧(人々の集まり)と住職、坊守、寺族に加えて総代・世話人である。十方の方々がお参りくださるように尽力をとお話しいただいた。

 続いて良寛さんが修行された円通寺を参拝。地域のガイドさんの説明を聞きながら、先ほど三木住職より聞いていた良寛さんの言葉「裏を見せ 表を見せて散る紅葉」、良寛さんも親鸞聖人も裏表なくすべてをさらけ出した人、私は表を見せているだけ、ということを思い出しながら散策した。

 精進料理の昼食をいただいた後、宝福寺を参拝。雪舟さんが涙でネズミを書いたとの逸話が残るお寺。もちろんその跡はなく、堂内をみることはできなかったが、素晴らしい佇まいのお寺であった。特に、山門を入ったところにある2本の杉の木は、それ自体が門の様で印象的であった。

 最後に後楽園を散策して無事に帰讃。親睦を深めるとともに、お寺にお参りすることの素晴らしさを感じていただき、それを周りの人と共有していくご縁となればと思って開催しております。ご参加いただきました方々、有難うございました。


真宗興正派西讃教区総代研修会 2014.6.13

 六月十三日、真宗興正派西讃教区各寺院の僧侶、総代90名で愛媛方面に研修旅行に行きました。

 まずは念仏詩人といわれる坂村真民氏の記念館を訪れました。会館の方の説明を聞きながらその人生と書かれた詩、書を拝見。氏は浄土真宗の方ではありませんが、その詩からは仏心が感じられます。有名な「念ずれば花開く」、「光る光るすべては光る 光らないものはひとつとしてない みずから光らないものは他から光を受けて光る」などは知っていましたが、それ以外にも多くの素晴らしい詩に触れることができました。

 続いては浄土真宗本願寺派南岳山光明寺参拝。こちらは有名な建築家・安藤忠雄氏の設計で、水に浮かぶような本堂が印象的でした。みなさんでお勤めした後、ご住職から苦労話などをお聞かせいただきました。

 普段は各寺院で住職と共にお寺を支えてくださっている総代世話人さん、寺院の枠を超えて研修・親睦を深める貴重な機会となっています。ご参加いただきました方々、有難うございました。


真宗興正派西讃教区仏教講演会 2014.5.19

 五月十九日、丸亀市民会館にて約二百名の参加のもと仏教講演会が開催されました。講師に長倉伯博氏(本願寺派善福寺住職・国立鹿児島医療センター緩和ケア委員)をお迎えし、「ベッドサイドに仏教がある風景」~病める方とそのご家族と共に~というテーマでお話いただきました。長倉氏は二十数年間にわたって多くの末期癌患者さんに寄り添い、最期を看取られた経験をお話し下さいました。

先生は、病める人に対してこちらが何かを語るのではなく、聞かせていただかなければならない、とおっしゃいます。人はそれぞれ物語を持っている、しかし、辛いことはなかなか話せない。まず長い「沈黙」の時間を経て、この人は私の話をちゃんと聞いてくれるという信頼が得られることが第一歩である。「何が一番つらいの?」と聞ける関係が築けるかどうか、さらに「よくぞ辛い事を話して下さいました」と共感するところに関係が深まっていく。そして患者さんにとってゴミ箱になることが大事で、心の中に溜っている苦しみや悩み(仏教でいえば四苦八苦)を吐き出したところから、本当の自らの思い、願いが現れてくる。それに対して何かしら手助けすることができるよう努めていくことが大切であると聞かせていただきました。私たちも病める方やその家族と接する機会があります。また私の家族も私も病める立場になることでしょう。その時にどのように接したらよいのか、どうしたいのかを考えるご縁となりました。

 



真宗教団連合香川県支部聞法大会 2013.10.24

 本年の聞法大会は「国境なき世界ー念仏と放射能汚染ー」というテーマにて、福島県の酪農家である長谷川健一氏(左写真)より「原発に『ふるさと』を奪われて」、福島県の真宗大谷派明賢寺住職である藤内和光氏より「福島を生きる」と題して講演いただきました。

 東日本大震災による原発事故、報道などで知っていたことはあくまで表面的なもの、または捻じ曲げられたものである。現地に生きる人の生の声を聞き、真実を知らされました。放射線測定はその場所だけ土を交換しているなど偽りの数字であること、牛は移動させてはならないと決められ殺処分や置き去りにせざるをえなかった憤り。置き去りにした牛は餓死し、その肉を豚に貪られて骨だけになった写真は衝撃的でした。 

 今なお帰ることはできない故郷、そしていまだに迷走をつづける関係者の対応。かれらの怒り悲しみ苦しみと、それに負けまいとする熱い心を感じ、このようなことが二度とあってはならないと改めて深く反省させられました。

 念仏詩人である榎本栄一氏に「境界線」という詩があります。「この世あの世というのは人間の我見 見てごらんなさい この無辺の光の波を 境界線なんてどこにもない」。人間はこの世とあの世、浄土を分けて考えますが、仏の目、覚りの目から見れば一つ、つながっている世界、境界線なんてない。お念仏はそれを教えてくださいます。私とあなた、香川県と福島県と分けて考えてしまいますが、それも一つ、つながっているということに目を開き、かれらの悲しみ苦しみを我がこととして考え生活していきたいと思った次第です。

 先生方、来場者のみなさま有難うございました。


真宗興正派西讃教区総代研修会 2013.6.12

 毎年恒例の総代研修会、本年は仏生山法然寺、高松興正寺別院参拝研修旅行です。バス2台、当山からの4名を含めて総勢78名です。台風3号の影響が心配されましたが晴天、暑い中での研修旅行となりました。

 法然寺は1670年、高松藩主松平頼重氏の建立で浄土宗の寺院です。お釈迦さまが入滅されたときに人間をはじめとする生きとし生けるものが集まり悲しんだ姿があらわされている釈迦涅槃図、それを立体に表現した涅槃像群は全国でも珍しいそうです。平成23年に完成した五重塔、昔ながらの技法で建立されたもので、この平成の時代に新築されることは希有でしょう。お寺の方からの懇切な解説を聞きつつ参拝させていただきました。

 高松興正寺別院は当山と同宗派の別院で、香川県には丸亀市郡家町とこちらの二つの別院があります。佐々木東讃教区教務所長と葛西輪番から別院の由来と寺院の繁盛には総代世話人が住職と力を合わせていくことが大切であるとのお話をいただきました。なぜお寺が何百年も護持されてきたのか、現代においては何を要請されているのかを問い直して今後のお寺の活性化につなげていきたいと感じたことです。

 両寺院の方々、参加された方々、有難うございました。


真宗興正派西讃教区仏教講演会 2013.5.14

 毎年恒例の仏教講演会、本年の講師は釈徹宗先生です。先生は相愛大学教授、浄土真宗本願寺派如来寺住職、NPO法人の代表を務められるなど多岐にわたって活躍されています。本日は「真宗のカナメ」と題しての講演。

 現代社会は自分の都合を大きくさせる方向である。原因である自分の都合を整えない限り結果は変わらず苦しみが消えず、苦しみの連鎖が起こる。仏教には私の枠(思い)を整える、体、言葉、心の三つを整える方法がある。それによって私の都合を小さくすることによって苦しみを小さくしていく。それを追求していくと出家になるが、社会生活を送っていく生活の中では限界がある。浄土真宗は行きつく先は同じだが違う道である。苦しみ・悩み・痛みという第一の矢は受けざるを得ないが、憎しみ・恨み・ねたみなどの第二の矢は受けないというのが仏道である。

 浄土真宗は帰るところがある世界を説く。死んだらそれまで、というのと、帰る世界がある、では全然違う。つらい思いで帰った時に「お帰り」と抱きしめてくれる人がいることが有難い。『五体不満足』の乙武匡洋さんは、お母さんがジャガイモのような自分を見て「まあ~かわいい」と言ってくれた、このことだけで生きていけると語っている。無条件で抱きしめてくれる人がいるだけで人間は生きていけるということだろう。

 

『真宗宗歌』

ふかきみ法に あいまつる 身の幸何に たとうべき

ひたすら道を ききひらき まことのみむね いただかん

とわの闇より 救われし 身の幸何に くらぶべき

六字のみ名を となえつつ 世のなりわいに いそしまん

海の内外の へだてなく みおやの徳の とうとさを

わがはらからに 伝えつつ 浄土(みくに)の旅を共にせん

 

を取り上げ、かつて他宗の人が「真宗門徒は何かにつけて「御」をつける」と言ったが、これは真宗の特徴である。すべてを有難くいただいていく。

「あいまつる」の「あう」とは「値う」(値遇)。「お椀のように二つのものがピタッと一致する意味。「ききひらき」、真宗は聴き続ける中で開かれる、阿弥陀如来に値遇する。「いただかん」の「ん」は意思を示し、身も心も納得して信じることである。

「闇」とは無明、光が強いと影ができる。阿弥陀仏の光に照らされると影、愚かな身と気づいても真っ暗闇ではない、それが救われたということではないか。そして「世のなりわいにいそしまん」、誠心誠意いきていく。南無阿弥陀仏とは南無、おまかせします。阿弥陀仏とは無量の光、無限のいのちを持つ仏ということ。真宗は時間と空間を超える教えであり、帰る世界をいただくことによって精一杯歩んでいく、という真宗のカナメを聞かせていただきました。

 

釈先生は翌日が自坊の永代経法要だったそうです。お忙しい中、有難うございました。ご来場いただいた方にもお礼申し上げます。