一心寺山門(旧観音寺城門)

 南北朝時代より讃岐西方は細川管領の下、守護代香川氏によって治められていた。この辺りにはその一族の居である観音寺城があった。室町後期から桃山時代にかけて、天霧城主香川之景の弟、観音寺城主香川景全は、阿波三好氏、土佐長曾我部氏の讃岐侵攻、織田信長の天下布武に対して兄と共に奔走した。之景は織田氏と手を結び、信長の一字を賜り信景と改名し所領を安堵されるなど、香川氏は讃岐の戦国大名として名を馳せた。当門は、観音寺城香川氏の菩提寺である当山に移築されたもので、往時の姿を今に伝えている。大棟の鬼瓦には桐紋、隅棟と降棟の冑型鬼瓦には十二葉菊紋、本堂には十六葉菊紋が残されており、現存しないもう一つの御堂には十四葉菊紋が使われていたと伝わっている。

 

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