山門の横にある一心寺の掲示板。
お釈迦さま、親鸞聖人、高僧方、著名人のことばを通して仏さまのこころを味わいます。
仏教伝道協会主催「輝け!お寺の掲示板大賞」で2018年に「笑い飯哲夫賞」、2020年には「フリースタイルな僧侶たち賞」を受賞しました。
是非、ご覧ください。
(真宗僧侶・金子大栄氏)
人間であることは喜びをもたらすかも知れません。しかし、生老病死諸行無常、悲しみを感じざるを得ません。それを知らなければ仏法に出遇うことも、喜びを感じることもできないでしょう。
(真宗僧侶・真城義麿氏)
私にとって都合の良いことは誰かの不都合。それが満たされてしまえばどうなるか。迷いは深まるばかりでしょう。
(詩人、真宗僧侶・浅田正作氏)
私の現実、ここを離れて喜びを求めても見つかりません。「私・今・ここ」を見つめ直しましょう。
何かを人に与えたら減ってしまい損をすると考えてしまいがち。しかし、親切しても減ることはないし、さらに徳が残っていきます。それは幸せにつながるのではないでしょうか。
(真宗僧侶・蓬茨祖運氏)
苦しみがなくなることはその苦しみを生かしていくこと。浄土真宗は苦しみはを、煩悩を離れることはできなくとも救われて往くことができる教え。
(真宗僧侶・宮城顗氏)
願いは叶ったときではなく、願いを持つ時に力が生まれてくるのではないでしょうか。みなさまの今年一年の願いは何でしょうか。
昨日まではもう過ぎ去りました。明日はまだ来ていません。それにこだわることなく今を生きることが大切です。
人に良いことを言うのは簡単です。しかし、厳しい本当のことはなかなか言えません。しかし本当のことを見ない、言えないでは、真の友とは言えないのではないでしょうか。
(詩人・高光大船氏)
遠くに見て理解するだけでは何にもならない。仏法を自らのものとして生きなければ意味をなさない
お寺の主は阿弥陀さま。いつでもいらっしゃる有難さ。
私が仏さまを供養するのではない。仏さまは迷っていない。迷える私を仏さまが導いてくださる。
(経済学者・ケインズ)
忙しくしている時には考える余裕がないかもしれない。しかし、いつか人生の目的を考えなければ空しく過ぎさってしまうのではないでしょうか。
わからない大きすぎるご恩、私の周りにはそんなことがたくさんあるのではないでしょうか。
(ペシャワール会・中村哲氏)
あれが欲しい、これが欲しい。それはあなたにとって本当に必要なものでしょうか。たくさんのものを求めることによって苦しみが増していませんか。あなたにとって本当に必要なものは何ですか。
喜びは似たような経験で分かりあえるかもしれません。同じ悲しみはなく、ひとりひとりの物語があります。同感できないと分かった上で寄り添っていきたいものです。
(僧侶・長松清潤氏)
信仰というと特別なことのように思うかもしれませんが、誰もが求める、人間が本当に大切なことに気づかせてくれる道です。
仏教は鏡に例えられます。その教えによって自分の姿が見えてきます。それが見えてこそ進べき道が見えてくるのでしょう。
(ガンジー)
明日があると思えば大事なことも後回し。明日がないと思えば刹那主義に。どちらに偏ってもダメでしょう。
明日死ぬかもしれないけれども、永く生きるかのように一日一日大事なことを学んでいきたい。
師走に年忘れ。嫌なことは忘れるに限るが、忘れてはならないものがある。それはご恩。
迷っていると何もできずに時間が過ぎ去っていく、空しい。
これと心を一つに定めて、人生を生き切っていきましょう。
(真宗僧侶・釈徹宗氏)
死を終わりではなく、これまでこれからと続いていくいのちの物語として受け取っていく。
そんな豊かな人生を宗教は育んでくれます。
死に関する情報は巷に溢れている。それをいくら見聞きしても死の問題は解決しない。私のこととして受け止めなければ。
(笑い飯・哲夫氏)
つながりは大切というけれども、苛立ちがおきることもある。つながりがなければ苛立ちはおきないが感謝も生まれない。
(笑い飯・哲夫氏)
好きな人と一緒にいたい。嫌いな人には会いたくない。でも、どちらも過ぎ去っていく。諸行無常。
(笑い飯・哲夫氏)
慈悲というと難しく考えてしまいがち。単純に、私とあなたは一緒と考えてみては。それだけで相手の思いに気づき、寄り添うことができるかもしれません。
(詩人・榎本栄一氏)
教室に机を並べる子供たち。あれこれ比べてしまいがち。
みんな違う声、違う個性。みんな違ってみんないい。
(所ジョージ氏)
新年度の始まり。何をすべきか悩むこともあるでしょう。
何のために生きているか、考えることができるだけでも幸せでしょう。
年度末。新たな転機を迎えている人もいることでしょう。
過去の種が今花となり、その花が実となりまた芽を出し、未来の蕾となる。
終わらない争い。私にとって憎い人も誰かにとっては愛しい人だと想像してみよう。
手を合わせれば、その手で悪事はできない。手を合わせれば自然と頭がさがるのはなぜでしょう。
(小説家・夏目漱石氏)
今が良ければそれでいいのでしょうか。今は未来につながっています。
(真宗僧侶・金子大榮氏)
何で泣いているのと聞くよりも、まず抱きしめて一緒に泣いてあげたい。
(小説家・夏目漱石氏)
自分がどういう存在かを知ることで本当の自分になれる。仏さまの光に照らされて自分自身が見えてくる。
(ダウンタウン・松本人志氏)
誰かと比べて点数をつける必要はない。自分なりに全力でやりきることができればいい。
でもそれが難しい。
(真宗僧侶・豊島学由氏)
いくら賢くなっても争いはなくならないのではないか。みんなが自らの愚かさに気づくことが唯一平和への道。
(料理研究家・土井善晴氏)
「混ぜる」は、複数のものをミックスして別の何かを作り出すこと。「和える」は、それぞれの存在感を、美しいところを尊重させる。複数の食材の利他がたがいにはたらきあって、ひとつのおいしいものが生まれる。混ぜないように気をつけよう。
(真宗僧侶・正親含英氏)
自分中心のものの見方から離れて、世の有り様を正しく見ることができれば、頭が下がる世界が開かれてくる。
(詩人・榎本栄一氏)
人生は後戻りできない、一度だけ通る道。新年度の始まり、新たな出会いがかけがえのないものに思えてくる。後悔しないように。
(『仏説無量寿経』)
2月24日に始まったロシアのウクライナへの侵攻。現代にこれほどの戦争が起こるとは思いもよりませんでした。「仏さまの教えに導かれ、世の中は平和に治まり、武器を取って争うことはなくなる」。
それは理想だ、現実は甘くないと言われるかも知れませんが、理想を掲げてこそ、現実の歩みが始まるのではないでしょうか。対岸の火事ではなく、自分のこととして考えたいものです。
(スピードスケート・小平奈緒氏)
目標は成し遂げられなくても、自らのできることをやり遂げる。それが素晴らしい人生に繋がっていくのでしょう。
(真宗僧侶・正親含英氏)
ブタからの臓器移植が始まった。人のいのちが大切なのは言うまでもないが、動物も殺されれるために生まれたのではない。すべての動物が、植物が、ウィルスさえ、自然の営みとして生きていることを忘れないようにしたい。
年が明けたらおめでとうとご挨拶。毎朝、必ず私の目が開くとは限らない。だから、朝、目が開いた毎日おめでとう。仏教では真実に目が開くことを説く。そうなればもっとおめでたい。
(タレント・所ジョージ氏)
過去に囚われて、未来を案じて苦しむ。今日だけを考えられたら、今の有難さを喜ぶことができるのでしょう。
(タレント・所ジョージ氏)
経験することが楽しいと人生は楽しい。いつも何でも楽しんでいる所さんの姿勢に学ばされる。生きるも死ぬも経験、生死一如。
(真宗僧侶・長尾正瑛氏)
東京オリンピック閉幕。金メダルは1人しか取れないけど、みんなの輝きは1等賞です。
私のことを思ってくださっている存在があると感じることができれば、いつでもどこでもひとりでも空しくはない。その存在を仏さまと呼ぶのかもしれません。
さとられた仏さまからすれば、私は心配な存在。心配してくれる方がいるのは有難い。仏さまの声を聞こう。
嬉しかったこと、悲しかったこと、後悔していること。その経験から学び、これからの行動の原動力となる。これまでの私はすべて今の私の肥やし。
(パナソニックのCMから)
新型コロナ感染拡大により、三密を避け、人と人との距離が変わった。しかし、思いは変えない、変わらない。安心を与える存在でありたい。
毎年、散っては咲く桜。諸行無常と見えますが、はかりしれないいのちの力を感じさせてくれる。
(医師・熊谷晋一郎氏)
新型コロナの影響で肉体的、精神的、経済的に厳しい状況に陥っている方もおられることでしょう。すべては自己責任、自立しなければいけない、人を頼ってはいけないと考える方も多いようです。しかし、自立とは状況(自らの立ち位置)がしっかりとわかるということではないでしょうか。誰もが支えられ、誰かを支えているのです。苦しい時は気兼ねなく周りの方を頼りましょう。
苦しみを分かち合ってくださる方がいるだけで希望になります。自分が苦しい時は誰かに頼る、頼られたら寄り添う、ということを自然にできるようになれば、世の中、明るくなるような気がします。
(プロレスラー・アントニオ猪木氏)
引退時のことば、「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」。
これは石川県の浄土真宗僧侶・清沢(暁烏)哲夫氏の詩「道」が元であると言われています。不安な道を行くのを励ましてくれる人、行く先で迎えてくれる人がいることがどれほど心強いか。お念仏の道では、お釈迦さまと阿弥陀さまです。
(親鸞聖人)
コロナ禍の終息はもちろんのこと、仏法によって心が休まればと思うことです。
芦田愛菜さんの言葉を元に造語した「信じるとはそのままを受け入れられる自分がいること」が、1600もの応募作の中からフリースタイルな僧侶たち賞を受賞しました。
2018年「君たちがいて僕がいる」で受賞しましたが、それは吉本興業のチャーリー浜さんのお笑いの台詞そのままでした。
今回は芦田愛菜さんの言葉をもとにしていますが、硬い内容の言葉を理解して取り上げていただけたということで、嬉しさもひとしおです。
これを励みに一層分かりやすく、素晴らしい仏さまの教えの言葉を届けられるように精進したいと思います。
「朝に礼拝 昼に汗 夜は感謝」
芦田愛菜さんの言葉を元に造語しました。「信じる」とは私の思いを挟むことなくそのままを受け入れられること。それは浄土真宗の他力の信心につながるような気がします。
ドラマ「半沢直樹」の新シリーズが始まりました。主人公が業界内で正義を貫く痛快なドラマですが、その決め台詞が「やられたらやり返す倍返しだ」です。仏教では「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」として怨みの連鎖を断ち切らねばしあわせにはなれないと説きます。うらみに囚われるのではなく、返せないほどの恩を受けていることに目を向けていく、そのほうがしあわせにつながるのではないでしょうか。
陽射しがなければ影は見えません。陽射しが強ければ強いほど影が濃くなります。私にとって悪いことが良いことを生み出す。表裏一体、すべては縁起、つながっています。
新型コロナの不安は色々あるでしょうが、一番は未知であるということでしょう。薬・ワクチンもなく、後遺症もわからない。私たちは未知のものには不安・恐怖を感じざるを得ません。
生まれ年老いて病になり死んでいく、そもそも人生は未知のものです。しかし、父母、多くの人がお念仏を称えながら先に人生を歩み、お浄土に往かれました。残された私たちが未知を恐れず、安心して人生を歩めるようにと願いつつ。合掌
新型コロナの報道、感染者?万人、死者?百人。これは数字ではありません。そのすべての人がかけがえのない人生を生きています。そのことに思いを致し、手を合わせ、1日1日を大切に生きていきたいものです。
仏教で説くさとり、それはこの世界の真実であり、私の真実です。
ドラマ「僕らは奇跡でできている」の台詞、「僕はみなさんでできているってことです。今まで出会った人、もの、自然、景色、生き物、全部でできています」、まさに仏教の世界観。
春になって咲く花は、冬の冷たい雪の下で育っているからこそ咲くことが出来るのです。
(昭和天皇)
仏さまの教えを聞いてすくすく育って幸せになってほしい、子どもたちに仏さまの教えを伝えましょう。
受賞作は「君たちがいて僕がいる」(チャーリー浜)
哲夫さんの講評「子供の頃から好きなギャグでしたがよくみると深い。一人で生きているんじゃないという、慈悲を感じる言葉ですね」。
仏さまの教えが広まって、みんなが喜びと安心の中で人生を送れますよう。
はや師走。黄色い銀杏の葉も散り始めています。
走ってばかりいると周りが見えません。いくら忙しくても心にゆとりをもって一瞬を、きちんと周りを見ながらゆっくり過ごしたいものです。
去年、今年、昨日、今日、年月日の流れはつながっています。これまでのすべてが今の私を作り上げています。今日の私が明日の私を作ります。
(明石家さんま)
(B’z稲葉孝志)
(吉本新喜劇・チャーリー浜氏)
私もこのセミのように何かにとらわれて身動きが取れなくなっていないかな…
(佐々木安徳氏) 無いものねだり、欲しいものが手に入らないからといって悩み苦しみを重ねないように。
心の畑に素晴らしい作物を育てたいものです。それは難しく、うちも雑草だらけです。しかし、雑草もひとつのいのち。
桜が咲いたら喜んで花見、それまでは見向きもしない。桜は誰も見ていない時もただひらすら生きている。
人は過去にとらわれやすい。変えられない過去よりも、これからに目を向けて今をどういきるか。
滅多に降らない雪。美しい白い世界を眺めつつ思い出す言葉。この辺の雪は道を忘れるほど降ることはありませんが…
平成31年1月のことば
過去、現在、未来、それはつながっている。今日の、一日の積み重ねがすべて。